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冒険家『三浦雄一郎さん』の講演会に行ってきました。
どうも吉武穂高です。(管理人のプロフィールはこちら)
本日は東海市まで知多北倫理法人会主催の三浦雄一郎さんの講演会「人生はいつも今から」に参加してきました。
この講演会本当に楽しみで、念願叶って憧れの三浦雄一郎さんに会うことができました。

実は三浦雄一郎さんに憧れて結構トレーニング方法なども調べて真似たりもしておりました。
今回の講演会でその半生とともに三浦さんの生き様や信念・70歳を超えてエベレスト登頂を果たしたトレーニング方法。攻めの健康術、さらに今後の目標を教えてくれましたのでご紹介したいと思います。
[aside type=”normal”]- 講演会は写真撮影禁止だったため、主催の知多北倫理法人会さんが写真をアップしたら掲載したいと思います。
- またこの記事で使用させていただいた写真はMIURA Everest 2013より引用させていただきました。
三浦雄一郎さんの半生|常に挑戦し続ける冒険家
1932年10月12日 生まれは、青森県青森市生まれ。
日本のプロスキーヤー及び登山家である三浦雄一郎さん、
大学を捨業後、母校の北大獣医学部に助手として勤務していた。
「今からでもスキーで世界を目指したい。」
そんな想いで、26歳の時にスキーで世界を目指したいと決意して大学の助手の職を辞任、スキーと山の世界に入る、
北アルプスなどボッカとして働いたり、そんな生活を10年ほど続けた、

ボッカとは山へ食事などの物資を運んだり、カメラマンなどの補助で荷揚げをすること。
常人では考えられないような荷物を背負って山に登ります。
[/aside]途中、アメリカでの世界プロスキー選手権に参加し、飛び込みで参加して世界ランク8位になった。
これから頑張ってプロスキーヤーとして世界を取ろう!と思った。
その後、イタリアで開催されたキロメーターランセに日本人で初めて参加し、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立した。
さらにその後、富士山からスキーによる直滑降を行った。
この時、ブレーキとしてパラシュートを使い、時速150kmだった。
またこの時のパラシュートが元になり、パラグライダーが開発されたとのこと。
エベレストの8000m地点からスキーによる滑降
乱気流に巻き込まれたため、完全にコントロール不能になり、さらにスピードがですぎていたため(時速280km)にいつの間にかスキーの板が外れていたという。
その時、三浦雄一郎さんが思ったことが、
「もうダメだ!」ではなく
「30年300年3000年経ったら俺は何をしているのかな。」
と来世への好奇心でいっぱいだったとのこと(⌒-⌒; )
ぎりぎり断崖絶壁、クレバスに差し掛かった時、岩に積まれた雪がクッションになり、大ジャンプ。
「もしかしたら助かるかもしれない。」
気がついたら倒れており、はじめは生きているか死んでいるかわからなかった。
首にかかった雪の冷たさでまだ生かされていることを知ったいう。
これはギネスブックに掲載され、その映像をドキュメンタリー映画化した。
作品名「The Man Who Skied Down Everest(エベレストを滑った男)」
https://youtu.be/j-8DLUc5iJg
その後、世界七大陸を周り、各大陸の最高峰全峰からの滑降を成功させる。
いつの間にか年齢は60歳を超え、リタイアをした。
目標の喪失|不摂生で体重は増え、生活習慣病に
その後、暴飲暴食をしてしまう。
身長165 cmで体重90 kgを超えてしまう。
今までの体重30kgオーバーしてしまった。
まさにメタボになってしまった。。
同時に数多くの生活習慣病を引き起こしてしまった。
血圧は200近くまで上がり、心臓はバクバクしてしまう。
さらに不整脈まで出てしまう。
心臓の病はその後2度手術を行っている。
医師からは余命3年を宣告を受ける。
目標を失い、不摂生な生活を送ってしまった。
父三浦敬三に感化され再び、夢を見つける
しかし、父である三浦敬三さんが99歳白寿にしてモンブランをスキーで滑降という目標を立ててやり遂げる。

(父である三浦敬三さん、三浦家は頑強な肉体と不屈の精神、そして子どものような好奇心を持った一族かもしれません。)
新たな目標|5年計画65歳でエベレスト登頂を目指す。
父に感化され、それから5年計画で体作りトレーニングをした。
しかし、はじめは近所にある500m級の藻岩山でさえ登りきれなかったという。
あまりの情けなさに本当にエベレストに登れるのかと思った。
さらに、仕事も多忙であるためなかなかトレーニングの時間がつくれない。
そこで考えたのが外出時に両足に重りを付けること
1年目は1kgのパワーアンクルを足につけ、さらにリュックに重りを20kgほど入れて週に2、3回1時間以上距離にして約10kmほど歩くトレーニングを実施。

名古屋や大阪へ出張する際は事務所から東京駅まで歩いて行ったとのこと。
もちろんはじめからバリバリ歩けたわけではなく、途中皇居のあたりで頭が真っ白になるほどきつかったという。

半年ごと、1年ごとに少しずつアンクルの重さを増やしていき、最終的には片足5kg、両足で10kg、リュックには20kg近いウエイトを背負ってトレーニングをしてきた。
そして食べる量はほとんど変わらず、運動を中心に1年で85kgまで落とすことができた。
仕事をしながらメタボもしっかり脱却できた。
三浦雄一郎さんも現在トレーニングに使用している最新のEMS機器
2003年70歳の時にエベレストを登頂
これは当時世界最高齢のエベレスト登頂でギネスにも掲載された。
その後、75歳で2度目の最登頂を成功。

80歳のエベレスト登頂を目指すも、スキーで大怪我!しかし驚異の復活を遂げる
80歳もエベレスト登頂を目指すが、スキーの練習で大怪我をしてしまう。
左大腿骨の付け根を骨折、さらに右の骨盤も骨折してしまう。
通常70歳で下半身を骨折するとほとんどが寝たきりになってしまう。
三浦雄一郎さんも半年は病院で寝たきりだった。
このままのリハビリや生活習慣ではエベレストはおろか怪我から復帰することさえできない。
そう決意した三浦さんは、妻にお願いして、
1日1本、鮭の頭を丸ごと食べたそう。

他にもサントリーのセサミンやグルコサミンなどを摂取。
セサミン
グルコサミン
不思議なことにその食生活に変えたところ、1ヶ月で骨がくっつき始めた。
さらに驚異的なのが、中学生・高校生並みのスピードで回復したとのこと。
三浦さん曰く、「鮭の頭を食べ続けたことがよかったとのこと。」
1年で無事に歩けるまで回復した。
その後もまた1kgのパワーアンクルを足に巻き、リュックを背負ってトレーニングを再開。
同じように負荷を上げていき、なんと今までと同じ、
10kgのアンクルを足首に巻きつけ、20kgのリュックを背負えるようになったとのこと。
まさに驚異的な回復力の復活劇。
さらに80歳のエベレスト登頂ぎりぎりに「不整脈」のため心臓の手術をした。
エベレスト登頂を目前に控え、山に入る直前にふたたび、心臓の手術をすることに。
家族からエベレスト登頂は反対されたが、意志は強く登ることを決意。
この時の挑戦は多くの方の記憶に新しいと思う。
三浦雄一郎さん 80歳でエベレスト3度目の登頂に挑戦
エベレスト8000m|世界最高のお茶会を実施!
なんとエベレスト8000mまでお抹茶と手巻き寿司のセット。
さらに羊羹を持って最後のアタック前にお茶会をしたとのこと。
お茶は伊右衛門の社長が用意してくれた抹茶。さらに虎屋が羊羹を用意してくれた。
虎屋の羊羹
(虎屋の羊羹|私の地元愛知県の物ですが、通常の羊羹より高く、贈り物に最適です。)
このお茶会のおかげでリラックスできた。
普通、エベレスト登頂、これだけの高地だと食事は抑え、アタックに備えるもの。
お茶会と手巻き寿司のパーティでお腹いっぱいになったことでリラックスができたそう。
おかげで心にゆとりを持ってエベレスト登頂に望むことができた。
不思議なことに80歳のエベレスト登頂の方が楽だった。
年齢を重ね、心臓の手術や大怪我を重ねてきたにもかかわらず、80歳のエベレスト登頂の方が楽だったとのこと。
それは怪我や病気・手術をしたからこそ自分の悪い部分や弱い部分がはっきりしてその分対策をして一歩ずつ乗り越えることができたから。
諦めなければ夢は叶う|90歳でもエベレストを登りたい
年齢を重ねると体はだんだんしんどくなる。
そうなると自然とできない言い訳ばかりするようになる。
自分を卑下するようになる。
そうすることで自分の限界やありきたりな常識をつくってします。
でもありきたりな言葉かもしれないが、
諦めなければ夢は叶う。
病気だ、怪我だ。そういうことをできない理由にすることなく、目標を立てて小さな一歩を歩いていけばいつか
「もし90歳生きていれば、元気であればもう一回エベレストに挑戦してみようと思う。」
幸せに健康に生きていく上では「今から」歩いていきたい。
まとめ|胸が熱くなりました!
今まで三浦雄一郎さんの書籍は数多く読み、そのトレーニング方法なども参考にしてきました。
半生やエピソードもある程度知っているつもりでしたが、直接お話を聞くと伝わってくるものが違いますね。
若い時の命知らずの冒険に度肝を抜かれ、年齢を重ねてからの挑戦にも度肝を抜かれ、80歳を越えてなお、新しい目標に向かう三浦雄一郎さんの生き様にすさまじくパワーをもらいました。
人それぞれ道は違えど、エベレストの如き、高き山に向かって冒険していきたいですね。
久しぶりに目頭が熱くなってしまいました。
https://adventure-king.com/2016/03/04/kennsui-rennzoku-max45/